最終更新日 2026年8月31日 by nfobiz

はじめまして、桑野志保と申します。
取材ライターの仕事を13年ほど続けています。

新潟の生活情報誌の編集部から始まり、上京してからは女性誌の契約編集者を10年やりました。
美容の取材と並行して、働きながら家族をつくる人たちの話をずっと聞いてきた人間です。

先日、ある投稿を読んで手が止まりました。
娘さんがグリンピースのスープとイカ墨のスパゲッティを作ってくれた、という母親の投稿です。
その中に、こんな一文がありました。

「どこにも習いに行っていないのに、こんなに作れるようになって」

美容家のたかの友梨さんが2026年1月に書いたもので、文面はたかの友梨さんが子供の手料理について書いたInstagramの投稿で読めます。

この言い回しに、強い既視感がありました。
取材先の家庭で、何度も聞いてきた言葉だからです。

私自身、料理は得意ではありません。
中学2年の息子がいますが、包丁の使い方を教えた記憶はほとんどないのに、気づけばひとりで炒飯を作るようになっていました。

親の側は「教えていない」と本気で思っています。
でも、子どもの側では何かが起きている。
その何かを、公的な調査と学習指導要領を読みながら追いかけたのがこの記事です。

以下の3つをお伝えします。

  • 「習っていない」と親が思うとき、実際には何が数えられていないのか
  • 学校の家庭科が渡しているものと、渡していないもの
  • 作れるようになる家で、親が何をして、何をしていないのか

「習っていない」の中身を分けて考える

まず、言葉の整理からです。

「習っていない」は、ほとんどの場合「料理教室に通っていない」という意味で使われています。
月謝を払って先生に教わった経験がない、ということです。

けれど、子どもが料理を覚える経路はそれだけではありません。
大きく分けると3つあります。

  • 学校の家庭科の授業
  • 家の台所で見たり、手伝ったりした時間
  • 動画やレシピサイト、料理本

このうち「習う」と呼んでもらえるのは、1つ目だけです。
2つ目と3つ目は、親の頭の中で学習として数えられていません。

そして厄介なことに、実際に子どもが多くを吸収しているのは、数えられていないほうです。

学校で教わる調理は、想像よりずっと狭い

先に1つ目を潰しておきます。

小学校の家庭科は、5年生と6年生の2年間しかありません。
標準の授業時数は学校教育法施行規則の別表で決まっていて、第5学年が60単位時間、第6学年が55単位時間です。
1単位時間は45分ですから、2年分を全部足しても86時間あまりにしかなりません。

しかもこの115コマは、家族との関わり方も、衣服の手入れも、住まいも、買い物の仕方も全部ひっくるめた枠です。
調理に使える時間は、そのうちの一部でしかありません。

では、その一部で何を作るのか。
文部科学省の小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 家庭編を読むと、扱う題材はかなり限定されています。

  • ゆでる調理(材料として青菜やじゃがいもなどを扱う)
  • いためる調理
  • 米飯とみそ汁

ほぼこれだけです。
さらに学習指導要領の本文には、調理に用いる食品について「生の魚や肉は扱わない」とはっきり書かれています。
解説のほうには、生の魚や肉を扱った調理は中学校において行う、と補足されています。

整理すると、こういうことになります。

小学校の家庭科で扱う小学校の家庭科では扱わない
青菜やじゃがいもをゆでる生の魚をさばく、肉を切る
野菜をいためる揚げる、煮込む、オーブンを使う
ごはんを炊く、みそ汁を作るカレー、唐揚げ、パスタ、お菓子

カレーもハンバーグも唐揚げも、学校では習っていないのです。
中学校の技術・家庭で加熱調理と和食の調理が加わりますが、それも3年間で技術分野と合わせて175単位時間の枠内の話になります。

つまり、子どもが家で作っている料理の大半は、学校の授業には出てきません。
「習っていないのに作れる」という親の実感は、この点では正しいわけです。

学校が渡しているのは、レシピではなく手順の根拠

ところが、解説を読み進めると印象が変わります。

指導のしかたについて、こう書かれています。

指導に当たっては,実習や実験を取り入れ,ゆで方,いため方の手順の根拠について考えることができるよう配慮する。

実験、という言葉が使われている点に注目しました。
具体例として挙がっているのは、野菜やいも類、卵などのゆで時間を変えて実験を行い、硬さ、色、味などを観察する活動です。

だしをとったみそ汁と、とらなかったみそ汁を比べて話し合う活動も出てきます。

ここで子どもが持ち帰るのは、レシピではありません。
たとえば、こういう理屈です。

  • 水から入れてゆでるものと、沸騰してから入れるものがある
  • ゆでるとかさが減るので、生では食べきれない量の野菜が食べられる
  • 野菜を弱い火力でいためると時間がかかって水っぽくなるので、強火で短時間のほうがいい

これらは特定の料理の作り方ではなく、料理全体に効く判断の基準です。

じゃがいもを水からゆでると知っている子は、里芋も大根も水から入れます。
教わっていないのに、そうします。
根菜は水から、葉物は沸騰してから、という区別が手に入っているからです。

強火で短時間という理屈を持っている子は、初めて作る野菜炒めでも火加減を下げません。
「習っていないメニューが作れる」という現象の正体の一つは、ここにあると私は考えています。

料理は、覚えたレシピの数だけできるようになるものではありません。
手順の理由を1つ持つと、その理由が通用する範囲の料理がまとめて作れるようになります。

台所に立った回数は、誰も数えていない

2つ目の経路、つまり家庭での時間はどうでしょうか。

国立青少年教育振興機構が行った青少年の体験活動等に関する意識調査(令和4年度調査)に、参考になる数字があります。
全国の小学4年生から高校2年生まで15,698人が答えた大規模な調査です。

「ナイフや包丁で、果物の皮をむいたり、野菜を切ったこと」があるかという設問への回答は、次のようになっています。

学年何度もある少しあるほとんどない
小学4年33.7%44.7%21.2%
小学6年43.4%46.1%10.1%
中学2年54.3%38.5%6.9%
高校2年61.8%32.7%5.1%
全体45.1%42.5%12.0%

小学4年生の段階で、すでに8割近くが刃物を握った経験を持っています。
そして「ほとんどない」は学年が上がるにつれて21.2%から5.1%まで下がっていきます。

同じ調査で「食事の準備や片付けを手伝うこと」を聞いた結果は、いつもしている38.0%、時々している43.1%でした。
合わせると81.1%です。

ただし、この設問には配膳や皿洗いも含まれます。
8割の子が調理をしている、という意味ではありません。
正確に言えば、8割の子が日常的に台所まわりに関わっている、ということです。

ここが大事なところだと思っています。
皿を運ぶ、野菜を洗う、卵を割る。
親からすれば「手伝わせた」だけで、教えた記憶にはなりません。

でも子どもは、そのあいだずっと横で見ています。
鍋に何を先に入れるか、どのタイミングで火を止めるか、味見をして何を足すか。
教えていないつもりの時間に、手順が積み上がっていきます。

一緒に作らなくても、伝わっている

農林水産省の食育に関する意識調査報告書(令和8年3月)に、これを裏づける数字がありました。

郷土料理や家庭の味、食べ方の作法などを次の世代に「伝えている」と答えた人に、どんなときに伝えているかを聞いた結果です。

  • 家庭で食事の際に 96.3%
  • 家庭で一緒に作りながら 33.2%

一緒に作りながら伝えている人は、3人に1人しかいません。
残りの多くは、作っているところを見せ、できたものを一緒に食べているだけです。

それでも本人たちは「伝えている」と答えています。
そして実際、家庭の味は次の世代に渡っていきます。

料理が伝わる主な経路は、教えることではなく、見せることと食べさせることなのだと、この数字は示しているように思います。

3つ目の経路だけは、数字で追えない

最初に挙げた3つ目、動画やレシピサイトについても調べました。
結論から言うと、子どもの何割がそこで料理を覚えているのかを示す信頼できる調査は、私が探した範囲では見つかりませんでした。

ですので数字は出しません。
ただ取材の場では、親から教わる段階を過ぎたあとに動画へ移っていく子の話を何度も聞いてきました。
魚のさばき方を動画で覚えた小学生の例もあります。

親が「習っていない」と感じるとき、この経路はまるごと視界の外にあります。
子どもは自分の部屋で、親の知らない先生から手順を受け取っているわけです。

親が教えようとすると、たいてい止まる

では、作れるようになった子の家で、親は何をしていたのか。

取材で聞いた話を並べていくと、共通しているのはむしろ「していないこと」のほうでした。

まず、教えていません。
正確には、教えようとして失敗した経験を経て、教えるのをやめています。

手伝わせると時間がかかります。
台所は散らかるし、二度手間も増える。
自分でやったほうが早いと感じる場面のほうが多いはずです。

そのうえ、教える側に回ると口調が変わります。
そこは違う、こう持って、まだ早い。
そう言われた瞬間に、子どもの側では料理が「やらされること」に変わります。

先ほどの33.2%という数字は、たぶんこの現実を映しています。
一緒に作るのは、親にとってかなり負荷が高い行為なのです。

作れるようになった子の親がしていたのは、もっと地味なことでした。

  • 子どもから見える場所で、毎日ふつうに料理をしていた
  • やりたいと言われたときに、断らなかった
  • 一度任せた工程には、口を出さなかった
  • 失敗した料理も、そのまま食べた

どれも指導ではありません。
やる気になったタイミングを逃さず、あとは黙って場所を空ける。
やっていることを言葉にすると、それくらいです。

作れるようになった子に起きていること

もう一つ、触れておきたい研究があります。

栄養学雑誌に掲載された小学生の家庭での調理経験が食事観、自尊感情、教科に対する関心に及ぼす影響という論文です。
小学4年から6年の485名を分析したもので、家庭での調理経験が食事に対する考え方と自尊感情に影響を及ぼし、間接的に教科への関心にもつながることが示唆された、と報告されています。

ここは慎重に書きます。
これは相関関係を分析した研究であって、料理をさせれば自己肯定感が上がる、という因果を証明したものではありません。
もともと自信のある子が台所に立ちやすい、という逆向きの説明も成り立ちます。

それでも、台所に立つ経験が子どもの内側と無関係ではなさそうだ、というところまでは言えると思います。

私が取材で感じてきたことも、これに近いものでした。
料理を作れるようになった子は、たいてい誰かに食べさせたがります。
作る技術より先に、食べてもらうと嬉しいという回路のほうができている。

冒頭の投稿に話を戻します。
あの投稿でご本人は、自分はビーガンなので口にしていない、と書いていました。
それでも「娘の成長をしみじみと感じています」と続けています。

食べていないのに成長を感じている。
つまり、味の評価ではなく、作れるようになったという事実そのものを受け取っているわけです。

子どもが料理を続けるかどうかは、この受け取り方でかなり変わります。
上手だったかどうかより、作ったことそのものが喜ばれた、という記憶のほうが残るからです。

まとめ

要点を振り返ります。

学校の家庭科で扱う調理は、ゆでる、いためる、米飯とみそ汁までです。
小学校では生の魚や肉すら扱いません。
子どもが家で作っている料理の大半は、たしかに学校では習っていません。

けれど学校は、レシピの代わりに手順の根拠を渡しています。
水から入れるか沸騰してから入れるか、強火か弱火か。
理由を1つ持つと、その理由が通用する料理がまとめて作れるようになります。

そして家庭では、包丁を握った経験が学年とともに積み上がっていきます。
8割の子が日常的に台所まわりに関わっていて、そのほとんどは親の記憶に「教えた」として残りません。
食文化を伝えている人でも、一緒に作りながら伝えている人は3人に1人でした。

「どこにも習いに行っていないのに」という驚きは、だから正確には、こう言い換えられます。
習わせた覚えはないけれど、見せてはいた。
台所に立たせた回数を、数えていなかっただけです。

もしお子さんが急に何か作り始めたなら、味の感想より先に、作ったこと自体を受け取ってあげてください。
続くかどうかは、たぶんそこで決まります。